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水沼寺沢遺跡

https://jdcat.jsps.go.jp/records/148065
https://jdcat.jsps.go.jp/records/148065
82571074-adaa-4fe3-a23e-70c8b6bf12fc
公開日 2025-12-04
タイトル 水沼寺沢遺跡
作成者 角田,真也
作成者 神戸,聖語
Distributor
寄与者 奈良文化財研究所
Nara National Research Institute for Cultural Properties
URI https://sitereports.nabunken.go.jp/60412
URI 日本史
URI General History of Japan
アクセス権 open access
Abstract
内容記述 高崎市文化財調査報告書
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
本遺跡は、縄文時代から中・近世の複合遺跡である。以下、時代順に概要を説明する。縄文時代草創期の有舌尖頭器が1点検出されており、この時代から寺沢台地に人が来ていたことがわかる。早期後半には比較的大規模な土坑群が構築される。縄文時代前期初頭には竪穴住居が作られる。次いで前期前半にも竪穴住居と土坑から構成される集落が営まれる。間を置いて前期末葉から中期初頭にかけての土坑群がある。中期後半になると再び集落が営まれ、後期初頭までこの地に人が住んでいたことが分かる。その後、いったん無住の地となるようである。弥生時代前期末葉から中期初頭とみられる土坑2基は、墓に関連するものと考えられている。また層位的に見て弥生時代後期~古墳時代前期の陥穴と見られる遺構群が見つかっている。再度この地が居住の場となるのは平安時代である。9世紀以降、10世紀後半から11世紀を中心とした竪穴住居が、台地の斜面下に立地する。出土遺物等から見て、鉄生産あるいは木工と関わる集落と見られるが、耕作痕も発見されており、生業には農耕が含まれていたことが分かる。1108年の浅間B軽石の厚い堆積によりこれらの遺構は埋め尽くされているが、中世の竪穴住居や土坑群がその上から構築されている。また中尾城という城館の伝承があり、人為的に掘られた堀切が見つかった。近世には大部分が畑として利用されたとみられるが、僧侶の墓とみられるの墓石と副葬品が残されており、今回の調査により発掘された。
Other
内容記述 出版物
Other
内容記述 Publication
データの言語 jpn
整理番号 60412
整理番号 http://doi.org/10.24484/sitereports.60412
対象時期 2013/03/29
対象地域
群馬県高崎市
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Ver.1 2026-01-13 01:18:47.437832
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