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粟窪・林遺跡/粟窪・林台遺跡/粟窪・四石田遺跡

https://jdcat.jsps.go.jp/records/149668
https://jdcat.jsps.go.jp/records/149668
f99a3223-1b80-4c0e-9119-e79d12778459
公開日 2026-01-20
タイトル 粟窪・林遺跡/粟窪・林台遺跡/粟窪・四石田遺跡
作成者 木村,吉行
作成者 川嶋,実佳子
作成者 植山,英史
作成者 井辺,一徳
作成者 三瓶,裕司
作成者 鈴木,次郎
作成者 須田,英一
Distributor
寄与者 奈良文化財研究所
Nara National Research Institute for Cultural Properties
URI https://sitereports.nabunken.go.jp/131720
アクセス権 open access
Abstract
内容記述 新東名高速道路(伊勢原市粟窪地区)建設事業に伴う発掘調査
かながわ考古学財団調査報告
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
 粟窪・林遺跡の調査範囲は主に台地南側の北西から南西へ向く斜面地に所在し、旧石器時代から近世の遺構・遺物が発見されている。旧石器時代はB4層上部の2個所で、台形様石器、剥片、炭化物などが出土している。縄文時代は竪穴住居址等は検出されず、遺構外から主に早期後葉から末葉と中期の士器が出土している。古墳時代後期から奈良•平安時代には台地南東の斜面に集落が形成される。集落の中心的な年代は9~10 世紀代である。中世では13世紀代に、調査区南東に馬小屋と推定される矩形状の建物や大規模な道状遺構が造られる。15 世紀以降、調査区中央南側に掘立柱建物址が建てられるが、調査区の大半は段切りを施して耕作地として利用されたと推定される。近世も引き続き段切りを行い、耕作地として利用されている。調査区中央南側は継続して掘立柱建物址が所在し、近隣に炭焼窯も造られる。
 粟窪・林台遺跡の調査範囲は台地東側の南西から北東に降る斜面地に所在し、縄文時代から近世の遺構・遺物が発見されている。縄文時代は主に遺構外から中期初頭、後期後葉の土器が出土している。弥生時代後期から古墳時代前期には集落が形成される。古墳時代後期から奈良・平安時代にも前代よりやや南・東に位置を変えて集落が展開している。中世では墓と考えられる土坑が発見されているが土地利用は活発でなく、近世には段切りを施して主に耕作地として利用されていた考えられる。
 粟窪・四石田遺跡の調査範囲は西に位置する粟窪・林遺跡との間に南北に延びる小尾根を挟んだ、東側の傾斜面に位置する。縄文時代から近世の遺構・遺物が発見されているが、各時代を通じて土地利用は活発でなく、近世になり小尾根上付近に建物址が建てられている。
Other
内容記述 出版物
Other
内容記述 Publication
トピック 日本史, General History of Japan
データの言語 jpn
整理番号 131720
整理番号 http://doi.org/10.24484/sitereports.131720
対象時期 2023/03/28
対象地域
神奈川県
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Ver.1 2026-02-16 10:42:34.375433
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