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東富岡・太窪遺跡 東富岡・中島遺跡 粟窪・林窪遺跡
https://jdcat.jsps.go.jp/records/149701
https://jdcat.jsps.go.jp/records/149701ed108da0-1019-4f76-8164-53468e137f9d
| 公開日 | 2026-01-19 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| タイトル | 東富岡・太窪遺跡 東富岡・中島遺跡 粟窪・林窪遺跡 | |||||
| 作成者 | 木村,吉行 | |||||
| 作成者 | 川嶋,実佳子 | |||||
| 作成者 | 宮坂,淳一 | |||||
| 作成者 | 井関,文明 | |||||
| 作成者 | 出縄,康行 | |||||
| Distributor | ||||||
| 寄与者 | 奈良文化財研究所 Nara National Research Institute for Cultural Properties |
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| URI | https://sitereports.nabunken.go.jp/144066 | |||||
| アクセス権 | open access | |||||
| Abstract | ||||||
| 内容記述 | 新東名高速道路(伊勢原市粟窪地区)建設事業に伴う発掘調査 かながわ考古学財団調査報告 埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等 東富岡・太窪遺跡は富岡丘陵から字林台へ続く台地の北側縁辺、北東に位置する。近世から中世にかけて東西に流れる流路が存在しており、近世には流路の東側において畑作が営まれていたことが明らかとなった。中世の流路に護岸のためと思われる杭列が打ち込まれていたことから、付近に何らかの遺構が存在している可能性もある。奈良・平安時代の畝状遺構や土坑、近世の段切りや土坑が発見され、長期にわたって農地として利用されていたことが判明した。また、古墳時代以前は中央部が谷地形を呈していたことが明らかとなり、土坑が1基確認された。縄文時代は土坑が発見され、早期後半から後期中葉の土器が出土している。植物加工、石器製作場に関係する場所の可能性が考えられる。旧石器時代はB2層中心とする層から遺物集中が確認された。 東富岡・中島遺跡は富岡丘陵の南東に立地する。近世には段切りがなされ平場で畑作が営まれていたことが判明した。中世頃は南東に傾斜する地形を呈しており、この地は利用されていなかったと思われる。古代には区画溝が掘られ、その内側で畑作が営まれていた。縄文時代は土坑とピットが確認され、断続的に早期から後期にかけての土器が出土している。植物加工、石器製作場に関係する場所の可能性が考えられる。旧石器時代はL1H層上部より石器1点が出土した。 粟窪・林窪遺跡は富岡丘陵から字林台へ続く台地の南側に広がる谷戸から裾部に位置している。近世の遺構は溝状遺構が主体であり、中世は谷戸を埋めた部分から15世紀代の遺物を含む竪穴状遺構や土坑、井戸といった耕作に関連する遺構が検出されており、屋敷が営まれていたことが判明した。土坑からは荷駄鞍・下駄・皿などの木製品が廃棄された状態で出土している。中世の生活を考える上で貴重な資料を得ることが出来た。奈良・平安時代の遺構は竪穴住居跡・畝状遺構などが発見された。畝状遺構は遺物集中箇所の下から見つかっていることから、この地が一時的では無く、ある程度の期間にわたって利用されていたことがわかった。縄文時代は早期後半から後期前葉に亘る土器が出土している。 |
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| Other | ||||||
| 内容記述 | 出版物 | |||||
| Other | ||||||
| 内容記述 | Publication | |||||
| トピック | 日本史, General History of Japan | |||||
| データの言語 | jpn | |||||
| 整理番号 | 144066 | |||||
| 整理番号 | http://doi.org/10.24484/sitereports.144066 | |||||
| 対象時期 | 2025/03/15 | |||||
| 対象地域 | ||||||
| 神奈川県 | ||||||