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近畿自動車道名古屋神戸線(四日市JCT~亀山西JCT)建設事業に伴う埋蔵文化財発掘調査概報6
https://jdcat.jsps.go.jp/records/168071
https://jdcat.jsps.go.jp/records/16807104d4a3b7-1751-42b0-9754-e2ed8d88786c
| 公開日 | 2021-06-18 | |||||
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| タイトル | 近畿自動車道名古屋神戸線(四日市JCT~亀山西JCT)建設事業に伴う埋蔵文化財発掘調査概報6 | |||||
| 作成者 | 服部,芳人 | |||||
| 作成者 | 松永,公喜 | |||||
| 作成者 | 浅野,隆司 | |||||
| 作成者 | 谷口,隆亮 | |||||
| 作成者 | 宮﨑,久美 | |||||
| 作成者 | 大川,操 | |||||
| 作成者 | 水橋,公恵 | |||||
| 作成者 | 中村,法道 | |||||
| 作成者 | 勝山,孝文 | |||||
| 作成者 | 西脇,智広 | |||||
| 作成者 | 村上,央 | |||||
| Distributor | ||||||
| 寄与者 | 奈良文化財研究所 Nara National Research Institute for Cultural Properties |
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| URI | https://sitereports.nabunken.go.jp/19647 | |||||
| アクセス権 | open access | |||||
| Abstract | ||||||
| 内容記述 | 埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等 【北山C遺跡】 桑名市南部を流れる員弁川の南岸、四日市市にかけて広がる丘陵上に位置する。今回の調査区は、第2次東区,第3,4,5次調査区の南端と隣接する。調査の結果、新たに8基の方墳と2基の円墳を確認した。墳丘は削平され、大半の古墳は周溝を残すのみであったが、1基で主体部が残存していた。他の古墳においても周溝埋土から5世紀代の須恵器と土師器が出土した。また、古墳時代の土壙墓2基と縄文時代の落とし穴2基を確認した。 【北山C遺跡】 36箇所の調査坑を設けて調査を行った。その結果、概ね調査区の中央で、溝・ピット・土坑を確認した。遺物が出土しておらず、時期ははっきりしないが、昭和50~60年代に行われた発掘調査結果から判断する、遺跡範囲の西端に当たり、この当たりまで古墳時代の集落が存在すると判断した。 (一次調査) 【小牧南遺跡】 今回の第3次調査では、現地は水田および畑地であり北に緩やかに傾斜する丘陵端部に形成された平坦面で調査を行った。確認できた主な遺構は、縄文時代中期の竪穴住居4棟・掘立柱建物3棟・埋設土器4基・集石炉1基、弥生時代終末期~古墳時代前期の竪穴住居21棟・掘立柱建物1棟、中世の土坑1基・火葬墓2基である。 遺構検出面はシルト質が主体であるが、段丘礫が露出するような箇所も多くみられた。特に丘陵南西~西側は礫の包含率が高く、遺構もほとんど認められなかった。なお、縄文時代中期の掘立柱建物群は、現在確認されている県内最古の掘立柱建物となる。 【鈴山遺跡】 三滝川上流北岸の音羽集落南側にある縄文時代の遺跡である。調査の結果、縄文時代早期の煙道付炉穴9基、集石炉2基、縄文時代中期の竪穴住居8棟、掘立柱建物6棟、大型土坑2基のほか、陥し穴(縄文土器を含む)7基を確認した。なお、縄文時代中期の掘立柱建物群は県内最古であり、北勢地域における縄文時代中期の実情を知る上で重要な遺跡となる。遺物は、縄文時代中期の土器片や石鏃、石斧、石錘などが出土した。 【高ノ瀬遺跡】 鈴鹿市山本町字高ノ瀬に位置し、扇状地の扇端、標高159~162mに位置する。幅2mの調査トレンチを14本(T30~T43)設定して行った。一部のトレンチでは、黒ボクの下で、安定した黄褐色シルトの遺構検出面を確認したが、遺構は検出されず、遺物も土師器小片が少量出土したにとどまる。 (一次調査) 【小社遺跡】 鍋川北岸に位置する。現況は標高151~153mの北から南に向かって傾斜する扇状地に立地し、現況は畑地である。調査の結果、近世以降と考えられる石列や土坑(埋甕)・川跡・柱穴を確認した。遺物は土師器片(皿・羽釜)、常滑産陶器片(甕・鉢等)、および土師質甕が出土している。 【釜垣内遺跡】 御幣川と鍋川に挟まれた、扇状地に立地する。標高は153m前後で、南東の御幣川方面に向かって緩やかに南傾する。調査の結果、4次東調査区で見つかった川跡の延長が、約75m検出され、4次東区から南流してきた川が調査区南端で緩やかに南東方向へ進路を変えることがわかった。この川の進路が変化した右岸には、多くの柱穴が検出されるとともに、焼土や炭を伴う土坑が複数確認された。これらの焼土土坑には製塩土器を共伴するものもある。縄文時代の石鏃が出土したほか、突帯文深鉢を埋納したとみられる土坑1基を確認している。 |
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| Other | ||||||
| 内容記述 | 出版物 | |||||
| Other | ||||||
| 内容記述 | Publication | |||||
| トピック | 日本史, General History of Japan | |||||
| データの言語 | jpn | |||||
| 整理番号 | 19647 | |||||
| 整理番号 | http://doi.org/10.24484/sitereports.19647 | |||||
| 対象時期 | 2016/10 | |||||
| 対象地域 | ||||||
| 三重県 | ||||||