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溝咋遺跡(その3・4)
https://jdcat.jsps.go.jp/records/169780
https://jdcat.jsps.go.jp/records/1697803da5cfbb-ad1f-4925-9f7e-dd04aef9a83e
| 公開日 | 2026-03-26 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| タイトル | 溝咋遺跡(その3・4) | |||||
| 作成者 | 合田,幸美 | |||||
| 作成者 | 伊藤,武 | |||||
| 作成者 | 黒須,亜希子 | |||||
| Distributor | ||||||
| 寄与者 | 奈良文化財研究所 Nara National Research Institute for Cultural Properties |
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| URI | https://sitereports.nabunken.go.jp/30443 | |||||
| アクセス権 | open access | |||||
| Abstract | ||||||
| 内容記述 | 茨木・学園町地区埋蔵文化財発掘調査3次・4次報告書 財団法人大阪府文化財調査研究センター調査報告書 埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等 ・古墳時代前期から中・後期にかけて、集落の中心が移動していたことが判明。具体的には北方集落から南方集落への移動。竪穴建物主体の集落から掘立柱建物主体の集落へと移行するが、両者が共存していた時期があったことも考慮が必要。南方集落では、滑石の加工が行われている。 ・同時期には、水田域のひろがりがみとめられる。西北から東南へとゆるやかに降る地盤に沿って、水田の大畦畔は等高線にほぼ直交するように設定されている。 ・庄内式期には東部瀬戸内地方から搬入された二重口縁壺が多い。また、結晶片岩が多く出土しており、これら土器とともに搬入された可能性が指摘できる。 ・弥生時代中期後半の墓域とともに水田跡を検出。 |
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| Other | ||||||
| 内容記述 | 出版物 | |||||
| Other | ||||||
| 内容記述 | Publication | |||||
| トピック | 日本史, General History of Japan | |||||
| データの言語 | jpn | |||||
| 整理番号 | 30443 | |||||
| 整理番号 | http://doi.org/10.24484/sitereports.30443 | |||||
| 対象時期 | 2000/03/31 | |||||
| 対象地域 | ||||||
| 大阪府 | ||||||