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並松町遺跡

https://jdcat.jsps.go.jp/records/171937
https://jdcat.jsps.go.jp/records/171937
28d7cbb9-e1c6-4196-a8af-890cd8992814
公開日 2021-11-02
タイトル 並松町遺跡
作成者 中村,淳磯
Distributor
寄与者 奈良文化財研究所
Nara National Research Institute for Cultural Properties
URI https://sitereports.nabunken.go.jp/65617
アクセス権 open access
Abstract
内容記述 大阪府道高速大和川線建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
公益財団法人大阪府文化財センター調査報告書
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
 紀州街道の本体に初めて考古学的調査のメスが入った調査である。古代や中世にも熊野参詣により、利用されていた熊野街道に関連するものとの期待があったが、調査の結果、この地に街道が通るのは、近世後半(18世紀)以降であることが判明した。これ以前は、住吉大社と堺環濠都市を結ぶ道は、調査区以外の場所を通っていたことになる。
 遺構面の下には、約1mの厚さをもつ均質な細砂層が堆積しており、砂堆上に立地していることがわかる。遺物はほとんど出土しなかったが、細砂層の下から検出された黒色粘土層が、放射性炭素年代測定により、弥生~古墳時代という結果が出た。現在では考えにくいが、調査地一帯が、近世初頭にいたるまで、人跡未踏の地であったことが推測される。
 街道の西側(海側)では、大規模な洪水の痕跡がみられ、遺構はほとんど残存していない。安政大地震などによる津波の影響が考えられ、紀州街道の西側には大きな被害が出ていたことが推測される。
 街道の東側では、津波の影響はほとんどなかったものと考えられ、遺構・遺物が多く検出された。後世の聖地などで、遺構の細かい時期はわからなかったが、18世紀後半以降に存続していたものといえる。近世から現代まで存続していたものも多く、井戸などは多くの廃棄物によって埋められていた。
Other
内容記述 出版物
Other
内容記述 Publication
トピック 日本史, General History of Japan
データの言語 jpn
整理番号 65617
整理番号 http://doi.org/10.24484/sitereports.65617
対象時期 2012/09
対象地域
大阪府
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