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平成18年度発掘調査報告書
https://jdcat.jsps.go.jp/records/189318
https://jdcat.jsps.go.jp/records/189318182f0f8f-8f68-4e03-9931-5382d90b083c
| 公開日 | 2024-06-11 | |||||
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| タイトル | 平成18年度発掘調査報告書 | |||||
| 作成者 | 溜,浩二郎 | |||||
| 作成者 | 北村,忠昭 | |||||
| 作成者 | 高橋,聡子 | |||||
| 作成者 | 平野,祐 | |||||
| 作成者 | 丸山,浩治 | |||||
| 作成者 | 戸根,貴之 | |||||
| 作成者 | 須原,拓 | |||||
| 作成者 | 川又,晋 | |||||
| Distributor | ||||||
| 寄与者 | 奈良文化財研究所 Nara National Research Institute for Cultural Properties |
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| URI | https://sitereports.nabunken.go.jp/13046 | |||||
| アクセス権 | open access | |||||
| Abstract | ||||||
| 内容記述 | 山舘遺跡・武道4遺跡第2次調査・大曲遺跡・中村遺跡第2次調査・高日向遺跡・雲南遺跡・坂下遺跡第9次調査・八木沢駒込1遺跡・宮古道路関連可能性あり8・隠里3遺跡・木戸井内4遺跡・隠里8遺跡・ほか調査概報 岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書 埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等 【山舘遺跡】 縄文時代~古代の以降を確認した。縄文時代は土坑・陥し穴状遺構などの遺構や土器・石器などの遺物が見つかり、生活の場や狩猟場として利用していたことが確認された。古代では溝跡・堀状遺構などが確認されたが、遺物は出土しておらず、集落の中心から離れた場所であったと考えられる。 【武道4遺跡 第2次調査】 縄文時代を平安時代の複合遺跡。縄文期の遺構は土坑と陥し穴遺構で、一時期は狩り場としての利用がなされていたものと思われる。平安期の遺構は竪穴住居跡、土坑、焼土遺構、柱穴状土坑で、いずれにもTo-aテラフが絡む。10世紀初頭前後の遺構と推定される。土坑埋土は人為的な埋め戻しが多く、焼土粒・ブロックの混入も顕著に見られる。 【大曲遺跡】 縄文時代の陥し穴状遺構、平安時代の竪穴住居跡・土坑が検出された。大曲遺跡では昭和49年の東北新幹線建設に係る発掘調査でも、今回の調査で見つかっている竪穴住居跡とほぼ同時期とみられる平安時代(9世紀後半?10世紀初頭頃)の焼失住居が1棟、A区の約60m西、現在の新堀堰になっている部分から見つかっている。また、今回の調査では縄文時代に帰属すると考えられる溝状の陥し穴状遺構が検出されている。以上のことから、大曲遺跡は縄文時代の狩猟場であるとともに、平安時代の集落跡であった可能性が出てきた。 【中村遺跡 第2次調査】 中村遺跡は、花巻市石鳥谷町に位置し、北上川東岸の自然堤防上に立地する。第2次調査では、平安時代の竪穴住居跡1棟、土坑2基、溝跡2条、柱穴状土坑17個などの遺構を検出し、遺物は、主に竪穴住居跡から、土師器甕、坏、須恵器甕などが出土した。平安時代の集落の一部である可能性が判明した。 【高日向遺跡】 縄文時代の陥し穴状遺構と土坑、近世以降の溝跡を検出。縄文時代に本調査区付近は狩り場として利用されていたものと思われる。また、土坑埋土から前期初頭~前葉頃の縄文土器が出土しており、付近に同時期の生活痕跡が存在する可能性が高い。 【雲南遺跡】 本遺跡は伊手川右岸の自然堤防および後背湿地にあたる。縄文時代の遺物は殆どが東側自然堤防上から出土しており、疎らな遺物包含層(縄文時代晩期)を形成している。本遺跡の東方200mには土地所有者による耕地造成時に縄文時代晩期、平安時代の土師器・須恵器が出土しており、集落の中心が一段上位の河岸段丘上に存在する可能性を示唆している。また。現表土下15?80cm下位から、造成土および洪水砂に覆われた状態の旧水田面を検出している。 【坂下遺跡 第9次調査】 遺跡は国指定特別史跡中尊寺の東側に隣接している。今次調査区の大半は湧水のある低位面で、12世紀に帰属する遺構はなかった。遺跡の主体は西側の高位面にあるものと思われ、出土遺物も高位面から流入した可能性が高い。 【八木沢駒込1遺跡】 本遺跡は八木沢川西岸に立地し、西部の山地から続く尾根部と隣接する斜面部・谷部及び八木沢川が迂回する独立丘陵で構成される。調査区北側の独立丘陵上は縄文時代晩期の集落跡で、独立丘陵麓の八木沢川沿い平坦部は製鉄関連のスペースであった。調査区南側は縄文時代の集落で、一部は宝永年間(1704~1710年)に墓域として使われた空間であったと想定される。 【可能性あり8】 宮古湾に向かって北流する八木沢川西岸に位置し、現況は山林である。西部の山地から続く尾根部と隣接する斜面部・谷部で構成される。急峻で集落形成には適さない地形である。尾根部・谷部共に明瞭な遺構は確認できず、南側斜面部で焼土を伴う不定形遺構が1基のみ検出されたが、それに伴う遺物は確認できなかった。時期は不明である。 【隠里3遺跡】 北上山地から宮古湾に注ぐ閉伊川と宮古湾に向かって北流する八木沢川に挟まれた山地に立地し、現況は山林である。西部の山地から続く尾根部と隣接する斜面部及び谷部で構成される。調査区北側は、送電線鉄塔とそれに伴うアース線、作業道路などで削平を受けているところがある。遺構が確認されたのは調査区南側と北側のそれぞれ限られた範囲である。竪穴住居跡は平面形や出土遺物から古代に属ずるものと想定される。陥し穴は尾根頂部付近、土坑は谷部、炭窯は谷部と斜面部で検出したが、いずれも時期不明である。本遺跡と隣接する八木沢2遺跡北端の尾根部は遺構が高密度で確認されているが、本遺跡の遺構密度は低い。 【木戸井内4遺跡】 北上山地から宮古湾に注ぐ閉伊川と宮古湾に向かって北流する八木沢川に挟まれた山地に立地し、現況は山林である。西部の山地から続く尾根部と隣接する斜面部及び谷部で構成される。調査区内のほぼ全域に高い密度で遺構・遺物が分布している。調査区南側と北側の谷部ではたけ跡、北端の尾根部で竪穴住居跡、調査区中央から北側の尾根部・斜面部で製鉄関連の遺構・遺物を確認した。縄文時代~古代以降の複合遺跡である。 【隠里8遺跡】 北上山地から宮古湾に注ぐ閉伊川と宮古湾に向かって北流する八木沢川に挟まれた山地に立地し、現況は畑地・山林である。西部の山地から続く尾根部と隣接する斜面部及び谷部で構成される。調査区中央~東側にかけての尾根部と斜面部では高い密度で遺構・遺物が分布している。縄文時代の竪穴住居跡が7棟、古代の竪穴住居跡が11棟検出され、複合遺跡であることを確認した。調査区西側は急峻な斜面と平坦な谷部で構成され、谷部は湧水があり集落の形成には適さない。西側の谷部・斜面部共に明確な遺構は確認されず、わずかに出土した遺物もこの場所に由来するものではない可能性が高い。 |
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| Other | ||||||
| 内容記述 | 出版物 | |||||
| Other | ||||||
| 内容記述 | Publication | |||||
| トピック | 日本史, General History of Japan | |||||
| データの言語 | jpn | |||||
| 整理番号 | 13046 | |||||
| 整理番号 | http://doi.org/10.24484/sitereports.13046 | |||||
| 対象時期 | 2007/03/26 | |||||
| 対象地域 | ||||||
| 岩手県 | ||||||