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平成19年度発掘調査報告書

https://jdcat.jsps.go.jp/records/189328
https://jdcat.jsps.go.jp/records/189328
c421e556-1d8e-446b-ace1-dd6a4a949f03
公開日 2025-05-12
タイトル 平成19年度発掘調査報告書
作成者 吉田,泰治
作成者 米田,寛
作成者 小林,弘卓
作成者 北田,勲
作成者 藤原,大輔
作成者 溜,浩二郎
作成者 杉沢,昭太郎
作成者 田中,美穂
作成者 菊池,昌彦
Distributor
寄与者 奈良文化財研究所
Nara National Research Institute for Cultural Properties
URI https://sitereports.nabunken.go.jp/13134
アクセス権 open access
Abstract
内容記述 小館遺跡・細谷地遺跡第18次調査・矢盛遺跡第14次調査・雨滝遺跡・落合2遺跡・落合3遺跡・戸仲遺跡第2次調査・湯沢1遺跡・下平遺跡第2次調査・清田境1遺跡・森崎2遺跡・南日詰八坂遺跡・八坂遺跡・鶴ヶ沢遺跡・瀬原2遺跡第10次調査・金浜1遺跡・金浜2遺跡・可能性あり10・北部環状線GHI・ほか調査概報
岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
【小館遺跡】
JR石鳥谷駅から東に400mの北上川氾濫平野上に位置する。岩手県中世城館跡分布調査報告書には「東流する大沢口川が北上川に合流する北側の段丘上。西側に幅8mの塀。規模80m×60m」と記されている。今回の調査は城館の主体となる範囲の東側で、自然地形を利用した曲輪と大沢口川の流路を利用した天然の堀跡を検出した。これらの範囲には明確な構築物の痕跡を確認できなかったものの、その立地条件から見張り場的な機能を有する場所ではなかったかと推察される。
【細谷地遺跡 第18次調査】
過年度の調査結果では、周辺に縄文時代・古代~近世の遺構が存在しているが、今回の調査では、明確な遺構は中世墓壙1基しか確認されなかった。このような結果から、今次調査区は遺跡の縁辺部に相当するものと思われる。
【矢盛遺跡 第14次調査】
北側調査区は、遺構・遺物とも極めて少数であるため、遺跡の縁辺部に相当するものと思われる。南側調査区においては、陥し穴状遺構が検出されたことから、縄文時代は狩猟場として活用されていたことが推測される。その他の遺構については、過年度の周辺の調査結果から中世~近世に属するものと思われるが、密度や遺物の出土量などからみても、稀薄な区域と判断される。
【雨滝遺跡】
明治大学により1953・1958・1963年の計3回調査が行われ、大洞B・BC式が混在するという層位的な事実から「雨滝式土器」が設定された包含層を主体とする遺跡である。今回の調査では過去の調査地点の1段低い段丘面に形成された小規模な遺物包含層(約300平米・層厚10CM)を検出した。この他に、中世と思われる竪穴建物跡1棟が見つかっている。
【落合2遺跡】
主に縄文時代中期後葉~末葉の遺構と遺物を確認した。畑地・住宅の造成により大部分が削平されていたものの、調査区付近では住居状遺構が確認されていることから、集落跡が存在していた可能性が考えられる。
【落合3遺跡】
今回の調査では旧縁部から縄文土器片を確認したが、調査区の大部分が造成により削平されていたため、遺跡の詳細は不明である。
【戸仲遺跡 第2次調査】
遺跡は盛岡市から宮古市へと続く国道106号沿いに立地し、北上山地の山間部を流れる梁川によって形成された河岸段丘に立地する。昨年度行われた第1次調査同様、縄文時代中期後葉~晩期中葉を中心とした遺構・遺物が見つかっており、集落跡の周縁部と考えられる。
【湯沢1遺跡】
平安時代の住居跡・井戸跡、近現代の柱穴・土坑類などが検出された。特に、平安時代の井戸跡は一般集落から見つかることは稀で興味深い資料といえる。また、縄文時代の遺物が少量出土しているが、遺構は確認されていない。本遺跡は、中世和賀氏の本城黒石城や白山神社にも近い。中世の遺構・遺物は確認されなかったが、本遺跡内にはこの時期の遺構・遺物がある可能性が高いと考えられる。
【下平遺跡 第2次調査】
調査区付近は縄時代の人の生活の痕跡があることと、柱穴の状況から近世以降の居住域だったことが明らかになった。近世の土坑の底部からは木片が出土した。
【清田境1遺跡】
JR千厩駅から東に2.1kmの金田川北岸の沖積低地上に立地する。遺構・遺物が散在し、遺構の所属時期は不明である。本遺跡よりも標高で約15m高い段丘面上に集落の主体があり、今回の調査区は遺跡の先端部に位置するものと考えられる。
【森崎2遺跡】
神田川の左岸に立地する複合遺跡。今回の調査では焼土・土坑などの遺構と共に縄文及び奈良時代の遺物が確認された。調査区の北西側などが開けており、遺構遺物が散在する可能性が高い。
【南日詰八坂遺跡】
当遺跡は古代の散布地として登録されている。遺跡範囲の約36%にあたる今回の調査で確認されたのは、縄文時代の陥し穴3基と土器片、礫石器、古代の土師器片、近世~現代の掘立柱建物跡1棟、カマド状遺構2基、柱穴列2列、柱穴痕をもつ柱穴群1箇所・柱穴状土坑4個と近世の古銭、時期不明の鉄製品である。古代に属する遺跡の主体は今回の調査区外にあると思われる。
【八坂遺跡】
当遺跡は古代の散布地として登録されている。遺跡範囲の約1.3%にあたる今回の調査で確認されたのは、18世紀に属すると思われる墓壙2基とその副葬品、近・現代または時期不明の遺構・遺物である。古代に属する遺跡の主体は今回の調査区外にあると思われる。
【鶴ヶ沢遺跡】
遺跡は一関市街より、気仙沼市方面へと続く国道283号沿いにある丘陵地上に位置し、調査前の現況は牧草地・畑地・雑木林などであったが、いずれの箇所においても過去の造成工事の影響で地形改変されており、旧地形をとどめていない状況である。調査では旧沢跡周辺から石鏃が4点出土し、縄文時代に狩猟場として利用されたいたことが確認された。
【瀬原2遺跡 第10次調査】
調査区周辺は縄文時代の狩り場だったことと、古代以降の居住域だったことが明らかになった。掘立柱建物跡の時期については不明だが、古代以降のものと推測される。土坑と建物は同時期に存在した可能性もある
【金浜1遺跡】
今回の調査対象範囲は東側に開けた谷部とその西方に位置する尾根部からなり、現況は畑および市道となっている。尾根部では畑地造成時に地形が大きく改変されており、遺構・遺物ともに希薄であった。一方谷部においては遺構は尾根部同様少ないものの古代の遺物がやや密に出土している。宮古市教育委員会遺跡内隣接地の調査では同時期と考えられる竪穴住居跡が確認されており今回の調査区の一部も同一集落内に含まれるものと推測される。
【金浜2遺跡】
今回の調査対象範囲は西側に開けた谷部とその東方に位置する尾根(金浜1遺跡と共通)の一部から成り、現況は畑および市道となっている。尾根部では畑地造成時に地形が大きく改変されており、遺構・遺物ともに希薄であった。一方谷部においては、山裾から古代を中心に遺構・遺物が確認されているが、谷の最深部は湿地を形成しており遺構・遺物ともに確認されなかった。
【可能性あり10】
今回の調査対象範囲は東側に突き出た尾根部とその南北に開けた谷部から成り、現況は山林となっている。尾根部では溝跡を確認しているが遺物は尾根全体で皆無であり、時期の推定はできない。谷部においては北谷部で縄文、古代の竪穴住居跡が確認されており、各時代を通じて居住域として利用されていた可能性が高い。南谷部では遺構・遺物ともに乏しい。
【宮古市北部環状線 G・H・I地点】
今回の調査対象範囲はそれぞれ谷(G地点)と尾根(H・I地点)の一部に限定されている。現況はいずれの地点も山林であった。I地点では、削平盛土が見られ、地形が著しく改変されていた。遺構はいずれの地点においても確認されておらず、遺物密度も稀薄であった。
Other
内容記述 出版物
Other
内容記述 Publication
トピック 日本史, General History of Japan
データの言語 jpn
整理番号 13134
整理番号 http://doi.org/10.24484/sitereports.13134
対象時期 2008/03/24
対象地域
岩手県
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