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東條遺跡ほか
https://jdcat.jsps.go.jp/records/189825
https://jdcat.jsps.go.jp/records/18982532871893-c8cc-4273-b1cd-8e43784a2f28
| 公開日 | 2024-09-25 | |||||
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| タイトル | 東條遺跡ほか | |||||
| 作成者 | 町田,勝則 | |||||
| 作成者 | 市川,桂子 | |||||
| 作成者 | 岡村,秀雄 | |||||
| Distributor | ||||||
| 寄与者 | 奈良文化財研究所 Nara National Research Institute for Cultural Properties |
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| URI | https://sitereports.nabunken.go.jp/16155 | |||||
| アクセス権 | open access | |||||
| Abstract | ||||||
| 内容記述 | 一般国道18号 (坂城更埴バイパス) 埋蔵文化財発掘調査報告書 3 ー千曲市内その3- 長野県埋蔵文化財センター発掘調査報告書 埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等 【峯謡坂遺跡】 峯謡坂遺跡は、三峯山の土石流堆積物上に立地し、眼下に八幡遺跡群を望む。古墳時代終末に集落形成がなされ、奈良時代の空白期をへて、奈良末から平安時代に再び集落が形成され10世紀まで存続する。開墾用と観られる鉄製鍬先を持ち、かつ豊富な緑釉陶器を保有した生産集落である。 【西中曽根遺跡】 西中曽根遺跡・東中曽根遺跡・東條遺跡は、いずれも姨捨土石流堆積物上に立地する。田ごと観音で知られる四十八枚田の眼下に西中曽根と東中曽根遺跡はあり、弥生時代後期終末と古墳時代前期末~中期初頭の集落である。古墳中期初頭の居住域は西中曽根遺跡に中心があり、中・小型の住居跡2~3軒で集落の単位が形成される。 【東中曽根遺跡】 西中曽根遺跡・東中曽根遺跡・東條遺跡は、いずれも姨捨土石流堆積物上に立地する。田ごと観音で知られる四十八枚田の眼下に西中曽根遺跡と東中曽根遺跡はあり、弥生時代後期終末と古墳時代前期末~中期初頭の集落である。弥生後期の居住域は東中曽根遺跡に中心があり、1軒の大型住居跡と2~3軒の中・小型住居跡、掘立柱建物跡で単位が形成される。 【東條遺跡】 西中曽根遺跡・東中曽根遺跡・東條遺跡は、いずれも姨捨土石流堆積物上に立地する。名勝「姨捨の棚田」の眼下に位置するのは、東條遺跡であり、広域にわたり古墳時代終末から平安時代までの集落が営まれる。当地域の拠点となる農業生産集落であり、古墳後期終末には大型竪穴住居跡1軒と中・小型の住居跡2~3軒の単位が3~4つ組み合わさって、ひとつの生産集落を構成する。奈良時代以降、ことに更科郡衙の整備が進む時期に至ると、東條遺跡の住居跡数は減少し、集落規模を縮小して9世紀末まで存続する。その後に300年の空白期を経て、中世前期に再び集落形成がなされる。鎌倉時代の集落は掘立柱建物跡と井戸跡を中心に町屋的な形成がなされ、武水別神社の門前、一本松街道脇に集落が発達する。室町時代には集落構造が変化し、礎石建物跡や石組の井戸、方形竪穴建物跡、さらには石敷きの道路状施設などが作られる。漆器の椀・皿類や輸入陶磁器、渡来銭などが豊富に出土し、呪符木簡(蘇民将来符など)の出土もある。有力者の屋敷地が形成され、門前の集落が整備される。 |
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| Other | ||||||
| 内容記述 | 出版物 | |||||
| Other | ||||||
| 内容記述 | Publication | |||||
| トピック | 日本史, General History of Japan | |||||
| データの言語 | jpn | |||||
| 整理番号 | 16155 | |||||
| 整理番号 | http://doi.org/10.24484/sitereports.16155 | |||||
| 対象時期 | 2012/03/21 | |||||
| 対象地域 | ||||||
| 長野県 | ||||||