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京都府遺跡調査報告集 第149冊

https://jdcat.jsps.go.jp/records/193618
https://jdcat.jsps.go.jp/records/193618
642ed03d-fc29-45ea-9366-4f622eac5527
公開日 2025-09-04
タイトル 京都府遺跡調査報告集 第149冊
作成者 中川,和哉
作成者 黒坪,一樹
作成者 戸原,和人
作成者 竹原,一彦
作成者 奈良,康正
作成者 古川,匠
作成者 石尾,政信
作成者 田代,弘
Distributor
寄与者 奈良文化財研究所
Nara National Research Institute for Cultural Properties
URI https://sitereports.nabunken.go.jp/25727
アクセス権 open access
Abstract
内容記述 京都府遺跡調査報告集
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
[長岡京跡右京第946・969・1006次・鈴谷遺跡 要約]
調子b地区の調査は平成20 〜 22年度にかけて実施し、縄文時代晩期・弥生時代中期から近世にいたる遺構・遺物を検出した。調査は微高地とその周辺の低地で行い、微高地上では縄文時代晩期のピット、弥生時代中期の土坑、平安時代は掘立柱建物跡、土坑、小柱穴、溝、中世段階の池状遺構、建物跡、井戸、土坑、近世の耕作関連の小溝群や井戸を検出した。それぞれの時期で生活が営まれたことが判明した。微高地下の低地では弥生時代から中世にいたる流路跡や氾濫原を検出した。また、微高地の西側を巡るように、自然流路を検出した。この流路は弥生時代〜平安時代後期にかけて、流路をわずかに変えながら流れていたものである。この流路がほぼ廃絶して以降に、微高地下の低地が離水したようで、水田・畑作地として土地利用されている。13世紀以後、微高地上でも集落関係の遺構は確認できず、調子地区全域は生産域として土地利用されたと考えられる。なお、調査地は長岡京条坊復原によると、右京九条三坊二・三町に当たるが、長岡京期の遺構は検出できなかった。弥生時代の遺構が遺存していることから後世にさほど削平を受けているとは考えにくく、長岡京関連の造作はこの地に及んでいなかったものと判断される。  鈴谷遺跡(鈴谷窯跡)の調査では、古墳時代後期のピット、終末期の横穴式石室を検出した。出土遺物には縄文時代、古墳時代前期〜終末期、長岡京期のものがある。近隣には鈴谷窯が周知されているが、関連する遺構・遺物は確認できなかった。古墳時代前期から中期の遺物としては、円筒埴輪、朝顔形埴輪、家形埴輪片が出土した。今回の調査で古墳は確認できず、近隣でも周知の古墳は確認されていないことから、同時期の未知の古墳が埋没しているか、もしくは後世の土地利用により破壊された可能性が考えられる。古墳時代後期のものとしてはピットを検出し、遺物もこの時期のものが主体をなす。遺構・遺物から類推すると、集落的な様相を示しているが、住居跡は確認できなかった。古墳時代終末期になると、横穴式石室が造られ、墓域として利用されている。長岡京期の遺物は、斜面地や斜面下の平坦面で土馬等が少量出土した。長岡京外の丘陵地として、祭祀行為行う場所となっていたことを示す資料と考えられる。 

[長岡京跡右京第1031次・開田遺跡・開田古墳群 要約]
調査は4地点において実施した。1・2トレンチでは、後世の撹乱や削平を受けており、近世以降の溝を検出しただけである。3トレンチでは、調査区の北端において東西方向に走り、東端で南へと屈曲して延びてゆく溝1条を検出した。この溝は、右京第995次調査で検出した溝SD301に続いていくものと判断し、一辺14mの方墳を新たに1基確認することとなった。4トレンチでは、この方墳の埋葬施設の確認を目的に調査したが、中世の土坑を1 基と柱穴2基を検出しただけであった。以上のように、調査地は、長岡京右京六条一坊十六町に当たるが、長岡京期に関連する遺構を検出することはできなかった。今回の調査で検出した方墳は、開田古墳群東羅支群に属すると考えられるもので、これまでに11基が確認されている。今後、開田古墳群の支群を整理する上での貴重な資料が得られた。 

[長岡京跡右京第1027次・松田遺跡 要約]
調査により、右京第997次調査で検出した柵列に連なる柱穴を検出し、その南で東西方向の素掘り溝を検出した。この溝の方位は右京第997次調査で検出した中世の居館の掘立柱建物跡や柵列と同じであり、しかも南側に遺構はないことから、居館の南を限る溝と推定される。これ以外には南北方向の流路跡を検出したに止まり、長岡京に関連した遺構や古墳時代の竪穴式住居跡などの遺構は確認できなかった。長岡京については京外に位置するためと考えられ、古墳時代の集落遺構は小泉川の流路により削平されたためと考えられる。 

[長岡京跡左京第547次 要約]
今回の調査では顕著な遺構・遺物は確認されなかった。土層の堆積状況からは、淀川に近接して形成された湿地あるいは荒蕪地であったと考えられ、水田など耕作地として利用されたが居住地としての利用はなかったと考えられる。 

[椿井遺跡第5次 要約]
今回の調査では顕著な遺構・遺物は確認されなかった。出土遺物から松尾古墳群を構成する古墳が存在していたと推察されるが、竹林として利用された際に削平され消失したと考えられる。
Other
内容記述 出版物
Other
内容記述 Publication
トピック 日本史, General History of Japan
データの言語 jpn
整理番号 25727
整理番号 http://doi.org/10.24484/sitereports.25727
対象時期 2012/03/31
対象地域
京都府
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Ver.1 2026-03-25 07:48:58.976976
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