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両総農業水利事業第3揚水機場建設工事埋蔵文化財調査報告書
https://jdcat.jsps.go.jp/records/195129
https://jdcat.jsps.go.jp/records/195129ed57d530-5a4f-4d5e-99fd-3be7a3116dde
| 公開日 | 2024-06-25 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| タイトル | 両総農業水利事業第3揚水機場建設工事埋蔵文化財調査報告書 | |||||
| 作成者 | 黒沢,崇 | |||||
| 作成者 | 井上,哲朗 | |||||
| 作成者 | 永塚,俊司 | |||||
| 作成者 | 鳴田,浩司 | |||||
| Distributor | ||||||
| 寄与者 | 奈良文化財研究所 Nara National Research Institute for Cultural Properties |
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| URI | https://sitereports.nabunken.go.jp/31084 | |||||
| アクセス権 | open access | |||||
| Abstract | ||||||
| 内容記述 | 山武市八幡神社北 1・2・3遺跡 ; 第1分冊(本文編) 千葉県教育振興財団調査報告 埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等 [八幡神社北1遺跡 要約] 旧石器時代では小さなブロックであるが、石器集中地点が5地点検出され、時期は5つの文化層(IX層下部・VII層・VI層〜V層・III層)にわたる。縄文時代の遺構は陥穴のみで、出土遺物も調査面積に比して非常に少量である。弥生時代では小規模であるが、中期後半宮ノ台式期の集落が確認された。隣接する八幡神社南遺跡では同時期の方形集溝墓と竪穴住居跡が検出されており、強い関連が考えられる。古墳時代後期後半から平安時代前半には継続的に集落が形成された。遺構は竪穴住居跡(約100軒)が主体で、古墳時代終末期に集落は拡大し、奈良から平安時代前半にかけて住居軒数は減少する。中世の台地整形により遺物の遺存状況は不良だが、一般土器類のほかに銅製品、墨書土器、鉄鉢形・大型台付鉢、石帯、転用硯、土馬等特殊遺物も出土した。中世では台地上が地山整形・溝・柵列等によって区画され、内部の各種遺構のあり方は区画によって異なる。常滑を中心とする中世陶磁器類の組成は主に 13世紀後半から14世紀前半であり、点在する名主層(有力農民層)の複数の屋敷を核として周囲に墓域や畑地が展開する村落景観が復元できる。また、一部の溝は中・近世を通して機能したことが推測される。 [八幡神社北3遺跡 要約] 旧石器時代では小さなブロックであるが、石器集中地点が5地点検出され、時期は5つの文化層(IX層下部・7層・6層〜5層・3層)にわたる。縄文時代の遺構は陥穴のみで、出土遺物も調査面積に比して非常に少量である。弥生時代では小規模であるが、中期後半宮ノ台式期の集落が確認された。隣接する八幡神社南遺跡では同時期の方形集溝墓と竪穴住居跡が検出されており、強い関連が考えられる。古墳時代後期後半から平安時代前半には継続的に集落が形成された。遺構は竪穴住居跡(約100軒)が主体で、古墳時代終末期に集落は拡大し、奈良から平安時代前半にかけて住居軒数は減少する。中世の台地整形により遺物の遺存状況は不良だが、一般土器類のほかに銅製品、墨書土器、鉄鉢形・大型台付鉢、石帯、転用硯、土馬等特殊遺物も出土した。中世では台地上が地山整形・溝・柵列等によって区画され、内部の各種遺構のあり方は区画によって異なる。常滑を中心とする中世陶磁器類の組成は主に 13世紀後半から14世紀前半であり、点在する名主層(有力農民層)の複数の屋敷を核として周囲に墓域や畑地が展開する村落景観が復元できる。また、一部の溝は中・近世を通して機能したことが推測される。 |
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| Other | ||||||
| 内容記述 | 出版物 | |||||
| Other | ||||||
| 内容記述 | Publication | |||||
| トピック | 日本史, General History of Japan | |||||
| データの言語 | jpn | |||||
| 整理番号 | 31084 | |||||
| 整理番号 | http://doi.org/10.24484/sitereports.31084 | |||||
| 対象時期 | 2009/02/25 | |||||
| 対象地域 | ||||||
| 千葉県 | ||||||