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武射郡衙跡

https://jdcat.jsps.go.jp/records/195149
https://jdcat.jsps.go.jp/records/195149
dff63629-1e97-4baf-aabd-15cef6618e6e
公開日 2024-10-11
タイトル 武射郡衙跡
作成者 栗田,則久
作成者 郷堀,英司
作成者 今泉,潔
作成者 小林,進一
作成者 半澤,幹雄
作成者 阿部,義平
作成者 萩原,恭一
作成者 糸原,清
Distributor
寄与者 奈良文化財研究所
Nara National Research Institute for Cultural Properties
URI https://sitereports.nabunken.go.jp/31107
アクセス権 open access
Abstract
内容記述 山武市嶋戸東遺跡総括報告書
千葉県教育振興財団調査報告
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
[嶋戸東遺跡 要約]
古代上層国武射郡衙に比定されている嶋戸東遺跡は、これまでに第1次調査から第9次調査の調査を実施してきた。本書はそれらの調査を総括し、第9次調査の調査成果については本書を正式報告するもとである。嶋戸東遺跡では官衙を構成する掘立柱建物群を主体とする遺跡軍が数多くみつかった。官衙域は7世紀後半から9世紀代まで造営され、画期を3期設定した。7世紀後半のI期では偏向した長舎建物を「コ」の字状に配置した状況があきらかになり、全体では「ロ」の字状配置になると考えた。III期(8世紀中葉以降)になると、造営の基準線を正方位に統一し、3方を溝で囲んで全国でも有数の敷地面積を持つ正倉院が造営される。正倉院区画溝の造営にあたっては、既存の古墳を目印としたり、院内に墳丘を残したまま取り込む場合もあった。院内には少なくても西列・北列に正倉群を配置し、8世紀後半台に掘立柱建物から礎石建物へ建て替えているようである。また中央建物群では、9世紀前半にSB001(5間×3間)という大型建物を造営する。SB001とそれを取り囲む建物群の性格について、古墳墳丘(SM002)の有無も絡めて、政庁説と館設の両説から検討を加えた。そして周辺の竪穴住居の分布から、9世紀後半には官衙としての機能は終焉し、郡域の再編を迎え、郡名郷が隣郡に移ると考えた。
Other
内容記述 出版物
Other
内容記述 Publication
トピック 日本史, General History of Japan
データの言語 jpn
整理番号 31107
整理番号 http://doi.org/10.24484/sitereports.31107
対象時期 2009/03/27
対象地域
千葉県
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Ver.1 2026-03-25 08:21:01.389732
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