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久留米市内遺跡群
https://jdcat.jsps.go.jp/records/198103
https://jdcat.jsps.go.jp/records/1981035ea9fb24-8b35-4cbf-bd86-f6f97b1cf7e1
| 公開日 | 2026-03-26 | |||||
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| タイトル | 久留米市内遺跡群 | |||||
| 作成者 | 白木,守 | |||||
| 作成者 | 神保,公久 | |||||
| 作成者 | 近澤,康治 | |||||
| 作成者 | 小澤,太郎 | |||||
| 作成者 | 大石,昇 | |||||
| Distributor | ||||||
| 寄与者 | 奈良文化財研究所 Nara National Research Institute for Cultural Properties |
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| URI | https://sitereports.nabunken.go.jp/57892 | |||||
| アクセス権 | open access | |||||
| Abstract | ||||||
| 内容記述 | 久留米市文化財調査報告書 埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等 (山下遺跡 第4次) 8世紀後半~9世紀代にかけての土坑やピットが検出された。この時期は、北に隣接するヘボノ木遺跡の回廊状遺構などとも併行し、その関連遺構が断層崖下まで広がっていることが分かった。土坑から出土した猿面硯は、須恵器大甕の胴部を転用したもので、ほぼ完形品である。また須恵器坏蓋の転用硯なども出土しており、本調査地付近が寺院もしくは官衙関連施設の一角を構成していたことが想起される。 (櫛原侍屋敷遺跡 第5次) 今回の調査は櫛原侍屋敷の東端部にあたる。試掘調査の結果では奈良時代頃の遺構・遺物を検出していたが、検出された遺構は近世末ごろの土坑1基と明治時代以降のピットのみであった。土坑も調査区域外へ広がっており、全容は明らかにできなかった。出土遺物としては、近世陶磁器・瓦・鉄器(釘)・硯であった。 (西小路遺跡 第9次) 今回の調査地点は西小路遺跡の北西端に位置し、道路を隔てた北西側は筑後川の氾濫原となる。調査では明確な遺構は確認できず、包含層のみの調査となった。その包含層も縄文時代から歴史時代までの遺物が混在しており、一時期に形成された包含層というよりも、南東側の高台からの流れ込みによって形成された堆積層と考えられる。 (浦山古墳群 第4次) 耳納山地西麓の藤山地区には、5世紀代に3基の前方後円墳が築造されている。今回の調査では、これらの首長墓に後続する小形の前方後円墳を確認した。この浦山4号墳は、後円部が既に消滅していたものの、前方部上には祭祀遺構が良好に残存しており、大甕を初めとする多数の甕・高坏・脚台付𤭯・坏・壺などの遺物が大量に出土した。これらの遺物には年代差が見られ、2~3回の祭祀が繰り返されたものと考えられる。また、前方部先端にあたる西側墳裾部では、周溝が確認された。埋土からは、周堤部から流れ込んだ円筒・朝顔形埴輪が出土した。なお、形象埴輪は出土していない。また、4号墳上には浦山24号墳が築造される。浦山24号墳は6世紀末~7世紀初めに築造されており、浦山4号墳の前方部を掘り込む形で石室が構築される。主体部は筑後地方特有の「胴張り」形の横穴式石室で、ほとんどの石が石材採集の為に残存しておらず、大破している。遺物は墓道部から主に出土しており、玉などの装飾品や土師器・須恵器が出土している。 (速水遺跡 第2次) 調査地は久留米市街地の西側に位置する。調査では弥生中期の竪穴住居3軒・土坑1基が検出された。市街地において該期の竪穴住居が検出されたのは初めてのことであり、筑後川左岸における弥生集落の動向に一石を投じることとなった。また丹塗り土器や甕棺片も出土しており、周辺に甕棺墓地が展開している可能性が考えられる。なお近世期における当地は城下町の外れに展開する農村地帯に相当する。 (中原遺跡 第1次) 調査地は金丸川左岸の標高12mを測る台地上に位置する。中原遺跡は平成14年に新たに発見された遺跡で、当初中世末ごろの遺跡と推定されていた。平成15年に今回調査地の北西100mの地点での試掘調査では古墳時代から奈良時代にかけての遺構や遺物を発見している。今回の調査ではそれらの遺構の広がりを確認すべく調査を実施したが、検出した遺構は江戸時代頃と思われるピットのみであった。遺物は皆無であり、時期の決定はできないが、南西約100mの地点での立会調査の際、黒褐色の埋土から江戸末期の遺物が出土しており、今回検出のピットも黒褐色埋土であり締りも悪いことから、江戸時代の遺構と推定される。 (二本木遺跡 第18次) 二本木遺跡では18次に及ぶ調査を行っており、今回の調査は二本木遺跡の最南端部に位置している。第11・12次調査で検出していた弥生時代の溝の延長線上にあることから、当地まで溝が続くものと考えられたため、調査を実施した。しかしながら今回の調査地までは弥生の溝は続いておらず、検出した遺構・遺物は中世のものであり、中世の集落の広がりを捉えたに過ぎなかった。 |
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| Other | ||||||
| 内容記述 | 出版物 | |||||
| Other | ||||||
| 内容記述 | Publication | |||||
| トピック | 日本史, General History of Japan | |||||
| データの言語 | jpn | |||||
| 整理番号 | 57892 | |||||
| 整理番号 | http://doi.org/10.24484/sitereports.57892 | |||||
| 対象時期 | 2005/03/31 | |||||
| 対象地域 | ||||||
| 福岡県 | ||||||