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原遺跡第7次調査概要報告書
https://jdcat.jsps.go.jp/records/204544
https://jdcat.jsps.go.jp/records/20454409a2d39f-a0be-49a5-8d46-e6b3a823345c
| 公開日 | 2024-03-12 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| タイトル | 原遺跡第7次調査概要報告書 | |||||
| 作成者 | 川又,隆央 | |||||
| 作成者 | 熊谷,篤 | |||||
| 作成者 | 黒岩,凌太 | |||||
| Distributor | ||||||
| 寄与者 | 奈良文化財研究所 Nara National Research Institute for Cultural Properties |
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| URI | https://sitereports.nabunken.go.jp/138590 | |||||
| アクセス権 | open access | |||||
| Abstract | ||||||
| 内容記述 | 宮城県岩沼市文化財調査報告書 埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等 原遺跡が所在する岩沼市南西部の玉崎地区は、『延喜式』に記載される「玉前駅家」、多賀城跡出土木簡にみられる「玉前剗」の比定地とされてきた。平成28 年度の圃場整備事業に伴う第1次調査では、掘方規模の大きい柱穴跡、美濃地方で生産されたと考えられる須恵器円面硯が発見され、 また翌29 年度に実施した第2次調査では墨書土器や材木塀が発見されたことから、官衙関連施設の可能性が考えられるようになった。さらに平成30 年度に実施した第3 次調査では、主軸が真北方向となる桁行10 間、梁行3間の長舎が同位置で建て替えが行われていることが判明し、建物の機能した時期は8世紀前半から後半と考えられるなどの成果が得られ、第4次調査では8世紀代~9世紀代の掘立柱建物跡を確認し、官衙中枢施設が移動している可能性が考えられるようになった。一方、第5次調査では、第3次調査で発見された長舎と一連の施設と考えられる掘立柱建物跡や9世紀代の区画溝を確認し、官衙中枢施設の広がりや中枢施設移動後の土地利用の在り方が明らかになった。 第7次調査で確認した遺構は古代の掘立柱建物跡4棟、竪穴建物跡2棟、近世大型土坑1基、古代の区画大溝を含む溝跡4条、土坑・柱穴多数である。 区画大溝(SD22002・22012)は8世紀代に開削された可能性が高いものであるが、本調査でも2時期の変遷を確認した。また廃絶時期についてもSI22001 の存在から9世紀後半以前には完全に埋没していたことが明らかとなった。さらに大溝は第6次調査Ⅱ区で発見した区画の北西コーナーから西辺が45 m以上延伸することを確認した。このほかⅠ区の調査では北西部の一部で区画の内外を結ぶ出入口の可能性がある痕跡は認められたものの、区画内部の施設が機能していた時期には空閑地であったことが判明した。 Ⅱ区で発見された掘立柱建物跡は、いずれも真北あるいは西辺溝を強く意識した主軸方位でつくられていた。また同位置で、同規模の建物の建替え(SB22019・22011)も認められており、区画内部の空間利用には制約あるいは高い計画性が存在していた可能性が考えられる。 9世紀後半の機能時期が考えられるSI22001 は、区画大溝が完全に埋没したのちにつくられたものである。本遺跡内で確認された当該時期の竪穴建物としては最大の規模となる。また壁柱穴の存在や、詳細調査は実施していないが煙道部を粘土で補強するなど、従来本遺跡内でみられる当該時期の竪穴建物とは異なる様相を呈している。SI22001 では新旧2時期の床面が確認された。旧段階の床面では炉跡とみられる焼土遺構が存在し、これを埋めたのちに新たに床の貼り増しを行っていたことが明らかとなった。 |
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| Other | ||||||
| 内容記述 | 出版物 | |||||
| Other | ||||||
| 内容記述 | Publication | |||||
| トピック | 日本史, General History of Japan | |||||
| データの言語 | jpn | |||||
| 整理番号 | 138590 | |||||
| 整理番号 | http://doi.org/10.24484/sitereports.138590 | |||||
| 対象時期 | 2023/03/31 | |||||