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与論城跡

https://jdcat.jsps.go.jp/records/204916
https://jdcat.jsps.go.jp/records/204916
b8ff292c-4332-45a1-8af6-7dc2ef8dfc8a
公開日 2024-04-18
タイトル 与論城跡
作成者 南,勇輔
作成者 池田,榮史
作成者 麓,才良
作成者 赤司,善彦
作成者 永山,修一
作成者 樋泉,岳二
作成者 黒住,耐二
Distributor
寄与者 奈良文化財研究所
Nara National Research Institute for Cultural Properties
URI https://sitereports.nabunken.go.jp/139047
アクセス権 open access
Abstract
内容記述 町内迫跡発掘調査事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告忠
与論町埋蔵文化財発掘調査報告害
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
与論城跡は与論島の南、標高約90mの琉球石灰岩段丘頂部に所在する三山時代(グスク時代・中世並行期)のグスク跡。グスクの北限の一例となる城跡で、発掘調査及び測量調査の結果、比高60mの断層崖から段丘頂部にかけて、東西約150m、南北約210mの範囲を石垣が囲んでいたと推定される。
 城域は沖縄本島以外の離島では最大規模で、2万㎡を超えると考えられ、断層崖の地形を取り込んだ縄張りは、ほかのグスクでは類例が少ない特徴を示す一方、段丘頂部の城域内平坦面は2~3mの石積で囲むなど沖縄からの影響や技術導入によって築城されたと考えられる。
城域内部には、平坦面から大きく15の地区に分けることができ、段丘頂部は石垣、断層崖斜面地の平場は石垣や通路によって分割されている。断層崖の石積は、開発等に伴う改変が少なかったため比較的保存状況が良く、高さ2~3m以上の野面積みによる石垣が残存し、城外側を意識して面が揃うように構築されている。段丘頂部の石垣は、墓地造成等によって改変されているが、発掘調査の結果、人頭大の石灰岩礫を用いた石垣の裏込めや造成層が確認され、内部の平場を取り囲む石垣は面の揃い方が不明瞭なのに対して、外郭となる石垣の外面は崖下と同様に面が揃うように構築されている。
 城跡の存続時期は、出土遺物や城内で確認された柱穴跡の理化学年代測定値から、13世紀頃から城内の利用が始まり、14世紀後半から15世紀中頃が主体となることが明らかになった。
 伝承では、琉球国山北王の三男王舅や琉球国中山王尚真王代の人物とされる花城真三郎が築城したとされる。発掘調査の結果、築城年代については明確でないものの、出土遺物から考える主な利用時期が、琉球史のいわゆる三山時代から第一尚氏王統期に含まれる14世紀後半から15世紀中頃にあり、第一尚氏王統が奄美大島などの奄美群島の北部で遠征を行う15世紀後半以降は出土遺物が乏しくなることが確認された。伝承で伝わる琉球国山北王の三男王舅が築城したとする年代観と符号するものの王舅の実在性は定かではない。伝承と発掘調査成果から,与論城跡は琉球国の影響下のもと築城され利用され、琉球列島を取り巻く社会的な情勢に連動した城郭であったと考える。
Other
内容記述 出版物
Other
内容記述 Publication
トピック 日本史, General History of Japan
データの言語 jpn
整理番号 139047
整理番号 http://doi.org/10.24484/sitereports.139047
対象時期 2024/03/15
対象地域
鹿児島県
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Ver.1 2026-03-25 11:49:46.522596
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