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多良木相良氏遺跡

https://jdcat.jsps.go.jp/records/205479
https://jdcat.jsps.go.jp/records/205479
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公開日 2024-06-20
タイトル 多良木相良氏遺跡
作成者 永井,孝宏
作成者 上村,麻妃
Distributor
寄与者 奈良文化財研究所
Nara National Research Institute for Cultural Properties
URI https://sitereports.nabunken.go.jp/139823
アクセス権 open access
Abstract
内容記述 多良木相良氏関連遺跡群総合調査報告書
多良木町文化財調査報告
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
 多良木相良氏遺跡は鎌倉時代に西遷し、鎮西相良氏の惣領家として存在した多良木相良氏に関する遺跡である。相良家文書に登場する「多良木村」は多良木相良氏の本拠である。
 相良頼景館跡は鎌倉時代から機能した遺跡である。多良木相良氏が開発したとされる灌漑域に占地し、当初は堀によって方形に区画され、球磨川に面し石積堤防を整備した遺跡であった。北側の堀は15世紀中頃には一度埋め戻され、多良木相良氏滅亡後の16世紀後半には再度堀が掘られ、土塁が造成される。遺跡の形成は、史料から得られた多良木相良氏の活動時期と一致しており、地域開発の拠点施設と考えられる。
 青蓮寺境内の当初の姿は、鎮西相良氏の祖・頼景の廟所が設けられ、廟所の中に阿弥陀三尊を安置、その背後中軸線上に壇上積基壇w配置、その上に五輪塔を設置するという墓所景観が復元できる。これらの墓所整備は、永仁3年(1295)に多良木相良氏主催のもと行われており、一族の墓所として機能していたと考えられる。青蓮寺境内は多良木相良氏にとって支配の正当性を示すものであり、多良木相良氏滅亡後も、墓所空間は支配の正当性を保持する装置であった。
 東光寺磨崖梵字は磨崖板碑であることがわかった。その隣には石窟も確認できた。東国御家人である多良木家にとって、自らの出自を主張するための装置であるとともに、地域社会への権威付けの機能があったものと考えられる。
Other
内容記述 出版物
Other
内容記述 Publication
トピック 日本史, General History of Japan
データの言語 jpn
整理番号 139823
整理番号 http://doi.org/10.24484/sitereports.139823
対象時期 2024/03/31
対象地域
熊本県
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Ver.1 2026-03-25 12:01:37.962362
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