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長崎県指定史跡島原城跡総合調査報告書

https://jdcat.jsps.go.jp/records/209748
https://jdcat.jsps.go.jp/records/209748
48fef400-c300-420b-adbf-3456292e9868
公開日 2025-03-28
タイトル 長崎県指定史跡島原城跡総合調査報告書
作成者 吉岡,慈文
作成者 山下,祐雨
作成者 北垣,聡一郎
作成者 宮武,正登
Distributor
寄与者 奈良文化財研究所
Nara National Research Institute for Cultural Properties
URI https://sitereports.nabunken.go.jp/141841
アクセス権 open access
Abstract
内容記述 島原市文化財調査報告書
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
 島原城は元和4(1618)年から7年の歳月をかけ、松倉重政が築いた近世城郭である。城地は雲仙岳の山麓に広がる扇状地に横たわるように縄張りがなされており、地下水や雨水の制御技術が前提となる構造である。全体平面構造は南北を長軸とした長方形状を呈すシンプルなものとなっており、元和期の築城思想を表わしている。一方で、外塁線上に設けられた30基を超える櫓群や城内の要所に配置された枡形等は、複雑な城道と相まって島原城の防御性を高めている。
 島原城の石垣について記す『幕府隠密復命書』には「本丸東の方、本丸さやの石垣」と記されており、熊本藩細川家の穴太であった北川家により記された『石垣秘伝之書』にみられる「鞘石垣」つまり「ノリ(矩)返し勾配」の石垣であったと記している。また、享保4(1719)年に作成された「本丸之内石垣崩所伺絵図之覚書」には島原城の石垣構築に「穴太」が関与していたことが理解される。こうしたことから、島原城跡の石垣と畿内における石垣との関係を明らかとすることにつながることが期待される。
 島原城は寛永13(1636)年の島原・天草一揆の緒戦の舞台となったほか、寛政4(1792)年に発生した「島原大変」という未曽有の災害を経験している。島原城においては、こうした有事の際に城下民の避難所や罹災民の養生所として機能しており、近世における城郭の機能を示す事例を有している。また、「島原大変」からの復旧においては藩主導ではなく、領内庄屋の「寸志」による石垣修復がなされており、領民と藩との関係を考える上でも重要な事例であるといえる。
 島原城は明治3(1870)年以降、順次、民間への払い下げが進められていったが、平成28(2016)年に本丸・二ノ丸・外曲輪の一部長崎県史跡に指定され、現在は、『長崎県指定史跡島原城跡保存活用計画』に基づく保護を図っている。
Other
内容記述 出版物
Other
内容記述 Publication
トピック 日本史, General History of Japan
データの言語 jpn
整理番号 141841
整理番号 http://doi.org/10.24484/sitereports.141841
対象時期 2024/10/31
対象地域
長崎県
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Ver.1 2026-03-30 09:53:07.735740
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