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博多202
https://jdcat.jsps.go.jp/records/211167
https://jdcat.jsps.go.jp/records/211167f9a3b00d-9f54-4524-a1f7-664f8312cb83
| 公開日 | 2026-03-02 | |||||
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| タイトル | 博多202 | |||||
| 作成者 | 大庭,康時 | |||||
| 作成者 | 岩熊,拓人 | |||||
| 作成者 | 常松,幹夫 | |||||
| Distributor | ||||||
| 寄与者 | 奈良文化財研究所 Nara National Research Institute for Cultural Properties |
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| URI | https://sitereports.nabunken.go.jp/146355 | |||||
| アクセス権 | open access | |||||
| Abstract | ||||||
| 内容記述 | 博多遺跡群第221次調査Ⅳ・Ⅴ・Ⅷ・Ⅸ・Ⅺ区の概要 福岡市埋蔵文化財調査報告書 埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等 調査地点は、博多遺跡群の西縁、博多湾に面して形成された後背湿地を流れる河川の川岸に当たる。 砂丘末端から河川堆積層にかけて、おおむね南北に敷地を縦断して、11世紀後半から12世紀前半の石積遺構(護岸)が出土した。石積遺構は、港湾遺跡の一部と考えられる。 当該期の博多は、それまで国際貿易の拠点であった鴻臚館が廃絶した後、これに代わる貿易拠点として急速に都市化が進んでいた。博多には、中国人商人が住み、唐房と呼ばれる中国人居住区を作って貿易に携わっていた。その貿易港が発見されたものといえる。 石積遺構は12世紀中頃~後半の洪水で埋没し、その後12世紀後半には屋敷墓が営まれるなど、急速に都市域に取り込まれた。そして、鎌倉時代末期には西大寺系律宗寺院である大乗寺の寺地となった。 |
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| Other | ||||||
| 内容記述 | 出版物 | |||||
| Other | ||||||
| 内容記述 | Publication | |||||
| トピック | 日本史, General History of Japan | |||||
| データの言語 | jpn | |||||
| 整理番号 | 146355 | |||||
| 整理番号 | http://doi.org/10.24484/sitereports.146355 | |||||
| 対象時期 | 2025/03/24 | |||||
| 対象地域 | ||||||
| 福岡県 | ||||||