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吉利古城遺跡
https://jdcat.jsps.go.jp/records/220630
https://jdcat.jsps.go.jp/records/220630b86c7513-f439-465d-bcd8-d05eb73228de
| 公開日 | 2026-03-31 | |||||
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| タイトル | 吉利古城遺跡 | |||||
| 作成者 | 日置市教育委員会 | |||||
| Distributor | ||||||
| 寄与者 | 奈良文化財研究所 Nara National Research Institute for Cultural Properties |
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| URI | https://sitereports.nabunken.go.jp/77603 | |||||
| アクセス権 | open access | |||||
| Abstract | ||||||
| 内容記述 | 半島基幹農道整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 日置市埋蔵文化財発掘調査報告書 ISSN 2760-7607(Print)ISSN 2760-7712(Online) 埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等 本遺跡は、「日置北郷下地中分絵図」に記載されている「日置入道跡」に相当すると推測される場所であり、中世の山城「吉利古城」でもある、と仮定されており、非常に重要視された調査であった。しかし、造成による削平が激しく、それらの遺跡に相当する確証は得られなかった。 しかし、「日置入道跡」に関しては、古代の須恵器が表層からではあるが、かなりの量が見つかった。また、建物跡らしきピット群も古代のものである可能性があり、今後の調査に期待が持てる結果であったと言えるだろう。 「吉利古城」に関しては、中世の遺物は古代の遺物に比べても著しく少なかった。腰郭と仮定された階段状の地形に関しても、その上に堆積している土の状態から、果莓園の作成による工事で作られた可能性が感じられた。今回の調査では、積極的に中世山城があったとする資料は得られなかった。 近世の遺物に関しても興味深い資料を得ることができた。当然、苗代川産の陶器も多かったが、肥前系や波佐見焼といった北九州産も多く、当時の流通を考えるうえで興味深いものであった。 縄文時代晩期・早期といった先史時代の資料に関しては、日吉地域の資料自体が、まだ蓄積が少なく、今後の資料となるだろう。 今回の調査で質・量ともに多かったのが、後期旧石器である。調査区全体が大規模な削平を受けているが、比較的に深い箇所の後期旧石器時代の遺物は残存状況がよかった。日吉地域での海岸に近い地域での旧石器時代の調査は少なかったので、今回の調査は貴重な事例である。注目されるのが石材である。日吉に近い上牛鼻産や三船産ではなく、霧島産と思われる石材が多く使われているのは、当時の当時の流通を考えるうえでたいへん興味深いものであった。また、細石刃の製作技法に関しても貴重な資料が得ることできた調査であった。 |
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| Other | ||||||
| 内容記述 | 出版物 | |||||
| Other | ||||||
| 内容記述 | Publication | |||||
| トピック | 日本史, General History of Japan | |||||
| データの言語 | jpn | |||||
| 整理番号 | 77603 | |||||
| 整理番号 | http://doi.org/10.24484/sitereports.77603 | |||||
| 対象時期 | 2007/03 | |||||
| 対象地域 | ||||||
| 鹿児島県 | ||||||