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堂古遺跡3 第4次調査 二反割遺跡3 第3次調査 舘遺跡1 第1~4次調査
https://jdcat.jsps.go.jp/records/220775
https://jdcat.jsps.go.jp/records/2207752ccde461-9807-4a74-94ea-c46ba7ee9d4d
| 公開日 | 2026-03-25 | |||||
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| タイトル | 堂古遺跡3 第4次調査 二反割遺跡3 第3次調査 舘遺跡1 第1~4次調査 | |||||
| 作成者 | 石川,智紀 | |||||
| 作成者 | 湯原,勝美 | |||||
| 作成者 | 細田,尚克 | |||||
| 作成者 | 斎藤,泰洋 | |||||
| 作成者 | 株式会社古環境研究所 | |||||
| Distributor | ||||||
| 寄与者 | 奈良文化財研究所 Nara National Research Institute for Cultural Properties |
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| URI | https://sitereports.nabunken.go.jp/146571 | |||||
| アクセス権 | open access | |||||
| Abstract | ||||||
| 内容記述 | 一般国道253号上越三和道路関係発掘調査報告書 新潟県埋蔵文化財調査報告書 埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等 堂古遺跡:高田平野の東部、飯田川左岸の自然堤防上に立地する中世(13世紀~15世紀)の集落遺跡で、標高は13.3~14.5mである。遺跡の特徴の1つに井戸が多いことがある。遺跡の南西で検出された24SD1は、過年度調査で大溝(堀)の性格が考えられたSD510の南側延伸部分で、同様に区画溝として考えられる。井戸や土坑などの大半は、24SD1より東に位置する傾向も同様であった。6Jグリッドでは旧飯田川と考えられる落ち込みが確認されており、遺跡の縁辺部と考えられる。 二反割遺跡:高田平野の東部、飯田川右岸の自然堤防上に位置する12世紀を中心とした集落遺跡で、標高は13.8~14.6mである。遺構は掘立柱建物、井戸、土坑、溝、ピット、性格不明遺構がある。掘立柱建物は3棟確認でき、1棟は2011年度調査の延伸部分である。桁行4間・梁行4間の総柱建物で、遺跡内では最大の建物となり、集落の中心的な建物の可能性が高い。この北東側は地形が沢状に窪み、飯田川の旧流路の可能性がある。この一帯には土坑が多く分布する。古代の遺構は、飛鳥時代と平安時代の土坑を各1基ずつ検出した。 遺物の出土量は極めて少ない。重複関係が認められる遺構もわずかであることから、存続期間の短い集落遺跡と考えられる。 舘遺跡:高田平野の東部、保倉川支流の桑曽根川と飯田川に挟まれた、11世紀後半を主体とした集落遺跡で、微高地(自然堤防)上に立地する。標高は約15.7mである。 上層では、中世の集落を中心に古墳時代中期、平安時代の遺構を検出した。古墳時代中期では大規模な自然流路とそこから取水している水路などを検出した。平安時代の遺構はP204だけであるが、体部に「田人」と刻書された9世紀後半の黒色土器無台椀が1点出土した。11世紀後半を主体とした中世集落で、大小2棟の掘立柱建物を中心に井戸や区画溝などが見つかっている。両建物は同時に機能していた可能性が高く、廃絶時にはともに柱を抜き取って解体している。両建物の存続期間は短かったと推定される。また、調査区北東側から畑作溝を検出したが、井戸や区画溝を切っていることから前述した中世集落が途絶したあとに作られた可能性がある。 下層では、古墳時代前期の土坑1基、ピット1基などを検出した。 |
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| Other | ||||||
| 内容記述 | 出版物 | |||||
| Other | ||||||
| 内容記述 | Publication | |||||
| トピック | 日本史, General History of Japan | |||||
| データの言語 | jpn | |||||
| 整理番号 | 146571 | |||||
| 整理番号 | http://doi.org/10.24484/sitereports.146571 | |||||
| 対象時期 | 2025/07/31 | |||||
| 対象地域 | ||||||
| 新潟県 | ||||||