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海上1・海上2・大久保1遺跡発掘調査報告書
https://jdcat.jsps.go.jp/records/230471
https://jdcat.jsps.go.jp/records/2304719d1892f6-d65c-430a-96ed-77d6d3690ffa
| 公開日 | 2026-06-02 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| タイトル | 海上1・海上2・大久保1遺跡発掘調査報告書 | |||||
| 作成者 | 中村,良一 | |||||
| 作成者 | 田村,壮一 | |||||
| 作成者 | 栃澤,満郎 | |||||
| Distributor | ||||||
| 寄与者 | 奈良文化財研究所 Nara National Research Institute for Cultural Properties |
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| URI | https://sitereports.nabunken.go.jp/25061 | |||||
| アクセス権 | open access | |||||
| Abstract | ||||||
| 内容記述 | 東北縦貫自動車道関連遺跡発掘調査 岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書 埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等 [海上1遺跡 要約] 遺跡は、七時雨山の北側山麓丘陵の北縁末端に立地する。沢を挟んで海上2遺跡と隣接している。標高は235〜264mで現況は畑地である。時期が判断できる遺構は平安時代の竪穴住居2棟で10世紀前半と推定される。他に東側調査区には土坑3基、陥し穴状遺構10基が検出されている。土坑はいずれも埋土中に十和田a火山灰が認められる。陥し穴状遺構は開口部がほぼ南北に軸をもつ小判形で、底部は長方形である。陥し穴状遺構も1基を除いて十和田a火山灰が埋土中にレンズ状に堆積している。さらに8基は苫小牧火山灰が堆積する。炭窯は形状や占地から近世と判断された。遺物の分布から西側調査区に縄文時代や平安時代の集落が存在していたと考えられ、その中心は調査区外の南側斜面上方にあると思われる。調査区外北側の段丘崖付近には縄文時代の住居跡の存在も考えられる。 [海上2遺跡 要約] 遺跡は、七時雨山の北側山麓丘陵の北縁末端に立地する。沢を挟んで海上1遺跡と隣接している。標高は236〜248mで現況は畑地である。時期が判断できる遺構は縄文時代後期末の竪穴住居1棟である。他に土坑17基、陥し穴状遺構11基が検出されている。土坑のうち4基はフラスコ形である。残りの7基は開口部径2mを超えるもので性格不明であるが、十和田a火山灰が埋土中に含まれることから平安時代以前に使用されたと考えられる。陥し穴状遺構は開口部が長楕円形で、底部は隅丸方形が多い。開口部長の平均は230cm、深さの平均は120cmである。埋土の堆積状況いずれもよく似ており、自然堆積で、上層に黒色土、次に灰白色火山灰(十和田a)などとなっている。また、一部に苫小牧火山灰を含む。こうした状況から11基の陥し穴状遺構は同一時期に並んで作られたと考えられる。遺物は縄文中期末〜後期末晩期初頭、弥生時代中期の土器が出土している。 [大久保1遺跡 要約] 遺跡は、安比川右岸に形成された中位の砂礫段丘状に立地する。調査区はこの段丘の北西向きの緩斜面である。標高は237〜246mである。縄文時代の竪穴住居跡が1棟検出されているが、土器細片が数点出土したのみで時期は不明である。床面中央に石囲炉がある。平安時代の竪穴住居跡は4棟検出されている。出土した土師器甕はロクロ不使用で口縁部は短く外反し胴部が幾分膨らむ。 |
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| Other | ||||||
| 内容記述 | 出版物 | |||||
| Other | ||||||
| 内容記述 | Publication | |||||
| トピック | 日本史, General History of Japan | |||||
| データの言語 | jpn | |||||
| 整理番号 | 25061 | |||||
| 整理番号 | http://doi.org/10.24484/sitereports.25061 | |||||
| 対象時期 | 1985/10/31 | |||||
| 対象地域 | ||||||
| 岩手県 | ||||||