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久留米市埋蔵文化財調査集報 Ⅻ
https://jdcat.jsps.go.jp/records/230619
https://jdcat.jsps.go.jp/records/2306197b12d553-5f75-4d74-a946-bdb4ea3805fd
| 公開日 | 2026-05-29 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| タイトル | 久留米市埋蔵文化財調査集報 Ⅻ | |||||
| 作成者 | 白木,守 | |||||
| 作成者 | 富永,直樹 | |||||
| 作成者 | 水原,道範 | |||||
| 作成者 | 塚本,映子 | |||||
| 作成者 | 古賀,和子 | |||||
| 作成者 | 豊田,章子 | |||||
| Distributor | ||||||
| 寄与者 | 奈良文化財研究所 Nara National Research Institute for Cultural Properties |
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| URI | https://sitereports.nabunken.go.jp/57910 | |||||
| アクセス権 | open access | |||||
| Abstract | ||||||
| 内容記述 | 久留米市文化財調査報告書 埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等 (南薫本村遺跡 第1次) 調査地は筑後川の氾濫原に突き出した低位段丘上に位置する。弥生時代の竪穴住居は、後期初頭の高三潴式段階に位置付けられ、周辺域では該期の集落は初めての発見となった。8世紀前半~半ばの土坑からは、パンコンテナー5箱にも及ぶ遺物が出土し、多様な遺物は同時代性の高い資料と考えられる。また西方300mに位置し、律令期の御井郡櫛原郷の中心集落とされる南薫西遺跡との関係も注目され、地理的に見れば本遺跡は櫛原郷の東辺部にあたるものと考えられる。 (善導寺境内遺跡 第6次) 筑後川左岸の標高12m前後を図る微高地上に所在し、承元2年(1208)に弁長上人によって創建された善導寺は最盛期には36院の付属子院を有していた。本調査では子院の一つであり、明治~大正初年に廃院となった無量院跡を調査し、その関連遺構と想定される江戸時代の溝や井戸を検出した。 (善導寺境内遺跡 第8次) 第6次調査と同じく無量院跡地を調査。無量院建造物と考えられる遺構は検出されていないが、13・15世紀の土坑や溝、18~19世紀の土坑・溝、明治時代の土坑や井戸を検出。18世紀代の土坑群の中には粘土を採掘したと想定される土坑も検出された。遺物はコンテナー6箱分が出土したが、14世紀代と17世紀代の遺物が少なく、寺伝のとおり南北朝期と天正期に戦乱の被害を受けたことによる衰退期が存在したことが推察される。 (京隈侍屋敷遺跡 第16次) 調査地は久留米城西側に建設された京隈侍屋敷の北西部にあたる。「天保年間図」(1830~1844)によると調査地点は「城家」「堀尾家」の名がみえる。今回の調査区の大半は撹乱を受けており、確認できた溝5条以外は詳細を得ることはできなかった。遺物も少なく、撹乱による現代の陶磁器などのほか、18世紀後半から幕末にかけての遺物が多数を占めるが、溝からは17世紀代の陶器が出土している。 |
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| Other | ||||||
| 内容記述 | 出版物 | |||||
| Other | ||||||
| 内容記述 | Publication | |||||
| トピック | 日本史, General History of Japan | |||||
| データの言語 | jpn | |||||
| 整理番号 | 57910 | |||||
| 整理番号 | http://doi.org/10.24484/sitereports.57910 | |||||
| 対象時期 | 2010/03/31 | |||||
| 対象地域 | ||||||
| 福岡県 | ||||||