WEKO3
アイテム
久留米市内遺跡群
https://jdcat.jsps.go.jp/records/230624
https://jdcat.jsps.go.jp/records/23062404cacd84-98d9-4199-be70-e93d9db7e4e4
| 公開日 | 2026-06-04 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| タイトル | 久留米市内遺跡群 | |||||
| 作成者 | 江島,伸彦 | |||||
| 作成者 | 白木,守 | |||||
| 作成者 | 小澤,太郎 | |||||
| Distributor | ||||||
| 寄与者 | 奈良文化財研究所 Nara National Research Institute for Cultural Properties |
|||||
| URI | https://sitereports.nabunken.go.jp/57928 | |||||
| アクセス権 | open access | |||||
| Abstract | ||||||
| 内容記述 | 久留米市文化財調査報告書 埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等 (糠尾古墳群 第1次) 糠尾古墳群は、久留米市の南西部にあたる大善寺町宮本に所在する古墳群で、4基の古墳で構成される。今回の調査で朝妻社古墳として周知される古墳の残存状況を確認した。 対象地に残るマウンドは墳丘盛土の残部であることを確認し、周溝と考えられる溝をマウンドの南北で検出した。 (糠尾古墳群 第2次) 糠尾古墳群は、久留米市の南西部にあたる大善寺町宮本に所在する古墳群で、4基の古墳で構成される。その中の2号墳(朝妻社古墳)は、墳丘盛土がほとんど残っておらず、石室も左側壁の一部が残存するのみで、玄室からは奥壁の抜き跡、前室からは袖石の抜き跡と考えられる土坑を確認している。なお、石室の掘り形は方形を呈している。 敷石を2面検出しており、追葬が行われている。前庭部の堆積状況からも供献された須恵器、土師器が大量に出土している。これらの遺物から築造時期は陶邑編年のTK209前後と考えられる。 (ヘボノ木遺跡 第70次) 調査地は、高良山から北西へ派生する標高14mの低位段丘上に立地する。回廊状遺構によって囲繞された区画内部の状況を把握する目的で実施した上面確認調査であり、遺構の掘り下げはほとんど実施していない。区画内の東側には南北棟建物があり、これに対応する建物の検出も目的であったが、少なくとも調査範囲内においては確認できない点が明らかとなった。また土坑2基は一部の掘り下げに止まったものの、軒平・軒丸瓦の出土も認められ、共伴した遺物から9世紀半ばには区画内に土坑が設けられていたことも確認された。 (念仏塚遺跡 第7次) 調査地は、標高10m程度の低台地上に立地する。調査ではピット80基余りが検出されたのみで遺物は皆無であったが、隣接地で実施した第2・5次調査では、「大印」や「南宅氏」などの墨書土器が出土したり、鍛冶関連遺構も確認されていることから、一般的な集落とは考え難く、官衙(郡衙)に深く関与した工房跡とも考えられる。時期は9世紀前半を中心とするものである。 (二本木遺跡 第28次) 当調査区では、弥生時代の遺構は検出されておらず、南側に弥生時代の遺構が広がるものとかんがえられている。また、礫層は地震痕跡との関連が指摘されており、今回の調査では筑紫大地震天武七年(679)以降の遺物が礫層の上から検出されている。 (善導寺境内遺跡 第9次) 調査地は、筑後川とその支流巨瀬川が合流する地点、筑後川左岸に形成された標高11~13mの自然堤防上に位置する。調査地点は浄土宗大本山善導寺境内の三門前面である。今回は、その石敷きの参道に伴う基礎地形を確認した。地形は10~35cmの高さに版築状の工法で積土されていた。その年代は、山門脇の石柱碑文から、明治33年(1900)と考えられる。 (安国寺遺跡 第7次) 調査地は、北方約500mを流れる筑後川左岸に形成された標高約8mの自然堤防上に位置する。調査地点は、明治時代の地図・字図などから、安国寺の周囲をめぐる濠の南辺部分にあたることが推測された。同寺を中心とする一帯は、鎌倉時代の神代氏館と安国寺を含む寺院地区で構成されていると考えられており、この濠はそれらを囲む濠を踏襲している可能性がある。今回の調査では、設定した調査区東端で南北方向の濠の西端部、調査区北辺東半部で東西方向の濠の南岸部を検出した。すなわち、単純に東西方向の濠が存在するだけでなく、南北方向にも走行するなど複雑な様相を呈していることがわかった。しかし、調査面積が限定されていたために、両者の時期差や配置についての詳細は、なお不明のままである。 (塚崎遺跡 第1次) 調査地は、広川左岸域に形成された標高約6mの低台地上に位置する。江戸時代に細形銅剣2本が出土した御廟塚貝塚の西側に所在する。弥生時代中期~後期にかけての土坑や溝などとともに、土器や石器など生活痕跡が検出されている。 (西海道跡 第3次) 調査地は、両側溝を有する路面幅約9mの道路遺構が検出された約800m北東にある車地遺跡第3次調査地点と、本調査地南側の荒木町荒木字車路とを繋ぐ、西海道推定路線の渡河地点にあたる。しかし、関連する遺構は皆無で、当地が地下げされているか、河川の作用によって関連遺構が流出した可能性が考えられる。 |
|||||
| Other | ||||||
| 内容記述 | 出版物 | |||||
| Other | ||||||
| 内容記述 | Publication | |||||
| トピック | 日本史, General History of Japan | |||||
| データの言語 | jpn | |||||
| 整理番号 | 57928 | |||||
| 整理番号 | http://doi.org/10.24484/sitereports.57928 | |||||
| 対象時期 | 2012/03/31 | |||||
| 対象地域 | ||||||
| 福岡県 | ||||||