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久留米市内遺跡群

https://jdcat.jsps.go.jp/records/251126
https://jdcat.jsps.go.jp/records/251126
feab4c25-33b0-4898-b1af-3628b3047221
公開日 2026-06-18
タイトル 久留米市内遺跡群
作成者 江島,伸彦
Distributor
寄与者 奈良文化財研究所
Nara National Research Institute for Cultural Properties
URI https://sitereports.nabunken.go.jp/65212
アクセス権 open access
Abstract
内容記述 久留米市文化財調査報告書
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
(市ノ上遺跡 第1次)
市ノ上台地中央の調査。これまで調査は台地端部に集中し、縄文~近世に及ぶ遺構群の存在が知られていたが、今回初めて台地中央部で遺構を検出し、弥生時代中期前葉を中心とした集落の台地中央部への広がりが確認された。
(櫛原侍屋敷遺跡 第9次)
調査地は、櫛原小路(侍屋敷)が立地する台地の東端部に位置する。台地端部に沿って幅8~9m程の帯状にオープンカットされ、硬く埋め戻されている。この整地は台地端部の地盤強化を意図したものと思われる。出土遺物の年代幅は17C初頭に限定されており、文献史料にみられる元和元年(1621)の有馬氏入国とともに開始されたという、櫛原小路の造成年代とも矛盾しない。また、屋敷境と思われる溝は素掘りだが維持管理がなされており、19Cになって短期間のうちに埋め戻されたものと考えられる。溝内の中層には小形の陶磁器類が、同じく上層では植木鉢などの大形の陶磁器類・瓦類・漆喰壁片などが多く廃棄されている。このような廃棄の状況から、屋敷の建物等の施設解体に伴って埋め戻しされたものと推測する。そうであるならば、その年代は、明治4年の三瀦県布達「士族・卒屋敷敷地相対引譲勝手次第」が出される明治初年頃の事ではないかと思われる。
(京隈侍屋敷遺跡)
星野家の邸宅跡の調査。SD21は南の境界にあたる。この他、排棄土坑が検出され、幕末から明治初頭の所産であろう。
(久留米城外郭遺跡)
弥生時代中~後期の甕棺墓を検出。その内訳は、大形棺3基、小形棺2基である。
Other
内容記述 出版物
Other
内容記述 Publication
トピック 日本史, General History of Japan
データの言語 jpn
整理番号 65212
整理番号 http://doi.org/10.24484/sitereports.65212
対象時期 2008/03/31
対象地域
福岡県
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Ver.1 2026-07-21 06:13:07.415482
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